学生と違い、社会人が数学を勉強するのはなかなか大変です。そこでここでは社会人が数学を勉強するに当たって参考になると思われる事柄について、主に独学を念頭においてまとめました。
本の選び方
数学を独習するには本が必要です。この本の選び方は大変に重要で、単に勉強の効率の問題だけではなく、これを間違えますと場合によっては数学に関して妙な誤解を定着させてしまうことさえあります。まずは本の選び方を考えてみましょう。
文部省検定教科書
小中高の算数数学を勉強する場合、当然文部省検定教科書が標準になるわけです。この場合どこの出版社のものもそれほど違いはありませんから、選択は純粋に各自の好みでいいと思います。
教科書の入手先は社団法人全国教科書供給協会http://www.text-kyoukyuu.or.jp/gaiyou.htmlのHPで調べてください。また市販の教科書レーダーも利用できます。
受験本
つまり入試対策用の参考書や問題集です。
もし目的が受験生に教えるとか、自分自身が受験するのであれば最適な選択です。しかし社会人が算数や中高の数学を勉強するための本としてはお勧めできません。
そのためであれば、いわゆる教科書レベルの参考書や問題集が適当です。
入試レベルの問題は確かに教科書レベルの問題よりも難しく、これに挑戦したいといった気持ちはあるかもしれません。しかしこの難しさは数学的なレベルの高さではありません。
例えば平面幾何学の問題でも、難問と呼ばれる部類の問題は生半可なことでは解けません。こういった問題はネット上で扱っているサイトも多いので、興味があれば検索していくつかやってみるのも良いでしょう。
しかしこのような問題をたくさんこなしても、作図に頼る初等的な平面幾何学の手法にこだわる限り、それはその域をでるものではありません。
そんな時間があったらベクトルの勉強をした方がいいと思います。
大学の入試問題を解く時間があったら、その代わりに大学の数学を勉強した方がいいと思います。
もちろんそれをすることが楽しくてパズル代わりにやるといったことを否定するつもりはありませんが、より高いレベルの数学をやってみれば、そこにはもっとずっと面白くて深いものがあると諒解できるでしょう。
啓蒙書
啓蒙書の類は勉強に使えるでしょうか?結論から言えば使えません。
啓蒙書というのは「こんなことがありますよ、勉強してみませんか」というお誘い、あるいはそれを勉強する予定のない人に対して「こんな感じになっていますよ」といった一種の広報のようなものであり、勉強に使う本ではありません。
これを読む場合は、あくまでも楽しみとして軽い気持ちで読むべきであり、勉強の準備あるいはその一部として読むべきではありません。
そんなことをすると、それが勉強として単に無駄になるだけならまだいいのですが、下手をすると何か変な誤解をしてしまい、本筋の勉強に悪影響を及ぼす可能性もあるので注意が必要です。
学生向けお助け本
最近大学で単位を落としたくない学生向けの微積分その他を扱った「易しい」本がずいぶん出ています。こういった本には計算のやり方とかが丁寧に書いてあって、それなりにその目的を果たしていると思われます。
大学の先生が書いている本もあれば、受験で培ったノウハウを生かして予備校の先生が書いている本もあります。
ところで、社会人向けの独習書としてこういった本はどうなのでしょうか。
これらの本を使う学生の場合、大学には教えてくれる先生がおり、かつそれなりのきちんとした本とかプリントとかが与えられているはずです。「易しい」本はあくまでもその補助であるに過ぎません。
少々極論かもしれませんがこれらの本には「やり方」(主に計算のやり方)のみが書いてあり「数学」は書いてないと思ったほうが無難です。補助に使うならいいかもしれませんが教材の主軸にはなりえません。
これらの本だけで勉強するのは、大工さんになりたい人が、のこぎりやかんなの使い方だけおぼえて満足するようなものです。もちろんこれらの道具が使えなければ大工さんにはなれませんが、何のためにそれを使うかといえば家を建てるためです。それだけをやって肝心な家の建て方を学ばないとしたらそれは話にならないでしょう。
数学を学ぶには、きちんとした数学が述べてある本を選らばなくてはなりません。
名著
世の中には名著と呼ばれる本があります。
もちろん名著と呼ばれるからにはそれが良い本であることに疑いはありません。
しかし、それを社会人が独学する場合の独習書として考えたときに適切かどうかは検討の余地があります。
その本を実際に手にとってみて、もしそれが読みやすいと感じるのでしたら、内容は折り紙つきですから、それを選択されると良いでしょう。
しかし逆にそれが読みにくいと感じた場合は、少なくとも最初はやめたほうが無難です。
それが仮にどんなに名高い本であっても、あなたにとって読みにくいのであれば、それはあなたにとって適切な本ではないからです。
そもそも名著とは、その道の専門家からみて深みのある本、あるいは見事な本という意味であって、必ずしも初学者にとって学習しやすい本というわけではありません。
啓蒙書とか学生向けのお助け本の類は避けた上で、読みやすいと思う本から取り掛かりましょう。そして勉強が進むにつれてその本の内容が物足りなくなったら新たな本を選択すればよいのです。その時点では件の名著が読みやすく感じられるようになっているかもしれません。
なおそれを読まない場合でも、名著を手許においておき、必要に応じて辞書代わりに利用するというのはお勧めの方法です。これはその名著を次にお話しする副読本として利用するやり方です。
勉強のやり方
副読本について
以上述べてきた点に注意して本を決めたら、それを購入して早速勉強を開始することになります。
純粋な独学の場合、頼りになるのは本だけです。ゆっくりであっても、理解しつつ読んでいけるうちはいいのですが、どうしても分からないことがでてきた場合はどうすればいいでしょうか。
そういった場合のために、副読本として同じ分野の別な本を手許に用意しておくことをお勧めします。
ある説明では理解できなくても、少し違う説明をされることで理解できるということはよくあります。
また本は人間が作るものですから誤りもあります。多くは誤植ですが、たまに本当に間違っている場合もあります。
自分が理解できないためにその部分が分からないのか、あるいは本に問題があるのか。
たとえ簡単な誤植といえども初学者には相当な障害になります。本が間違っているゆえに時間をとられるのは、ただでさえ時間のない社会人には大きな損失です。
ここで複数の本を調べることができれば、複数の本で同時に同じ誤りがあることはほとんどありませんから、それが本の誤りか、自分の誤解によるものかが判定しやすくなります。
そのようにしてもどうしても分からないようなら、とりあえずそれは棚上げにして先に進みましょう。そのときは分からないことでも、勉強を先に進めていくうちに分かるようになるというのはよく経験されることです。
なお、同じ分野の複数の本を同時に読むのはお勧めできません。あくまでも主軸になる本を決め、基本的にはその一冊を読み、必要に応じて他の本を参照するようにしてください。
本への書き込み
本を読みながら重要な部分に線を引くといったことは、かなり一般に行われていると思います。数学の本の場合は単に線を引くというより、自分にとって分かりやすい補足等を書き込むのが有効です。
実を言うと私は以前本に何か書き込んだりするのが嫌でした。本を新品同様の状態にしておきたかったのです。
しかし後で古本屋に売るつもりでもあれば別ですが、本への書き込みは大変有効ですのでぜひお勧めします。なお、修正も考えて書き込みは鉛筆(シャープペン)で行うのが良いでしょう。
もちろんノートを作るのも有効です。私は本への書き込みを基本として、必要に応じてノートを作るようにしています。
また雑多な計算や、まだまとまっていない証明の試し書きなどにはチラシなどの裏紙を利用しています。
本の書き込みやノートには、それなりの練った内容を記述するべきであることは言うまでもありません。
演習問題
算数や中高の数学の教科書とかは、一種の「やり方集」の側面が強いので、演習問題がでてきたらそのやり方を身につけるため、そのつどそれを解いていくという読み方がいいのですが、大学の数学の本の場合は「やり方集」ではなく一つの数学的な構築物であり、理解を中心に据えつつ必要な手法を習得するという読み方をしなくてはなりません。
この場合は本の構成にもよりますが、演習問題がでてきた場合、初めからやたらと解いていくより、まずはその本の本文を理解することを優先して、ある程度まとまった理解ができてから前に戻って解いたほうが効率がいいでしょう。
それに一回読んだだけでその本がすべて分かってしまうようなことはまずないでしょうから、まずは練習問題は棚上げにして、ともかくその本の本文の部分をすべて読んで全体を把握し、その後問題に挑戦するというのも手です。
要するにまず全体のレイアウトをつかんでから、次第に細部を詰めていくやり方のほうが効率がいいという意味です。
本文の読み方としては各命題の証明を、自分自身の言葉で再現できるように努めるのです。実はこれ自体が一種の演習になります。本によってはまったく演習問題のないものもありますので、その場合これがほぼ唯一の演習になるでしょう。
なお、大学の本の場合、本文中で述べられなかった事項を紹介するための「必ずしも解けることを期待されていない問題」が掲載されていることもしばしばあるので注意してください。その意味からも全部解こうなどと単純に考えないほうが無難です。
ちなみに、資格試験等に受かるための勉強の場合は、なるべく早い時期から模擬問題に当たるやり方が効率的です。但しこのやり方は一種の一夜漬けであり、試験が終わったら忘れてしまう可能性が高いと思います。
しかし試験の場合はともかく受からないと仕方ありません。この場合は合格が先、理解は後で良いのです。
勉強に行き詰ったとき
勉強が常にすらすらと進むのなら問題はありませんが、現実にはそううまくいきません。以下を参考にしてみてください。
勉強していてなかなか分からないとき
新しいことを勉強する場合、すぐには分からないのが普通です。
分からないことと格闘し、やがて少し分かり始め、そしてそのうち一応分かるようになるそれが普通です。
ここで一応といったのは、分かったつもりでいても後日考え直してみると、いろいろと抜けがあることが判明するといったことがしばしばあるからです。
つまり新しい事柄を理解するというのは、そもそもそんなに簡単ではないということです。ですからすぐに分からないからといって悲観するには及びません。
分からないことを分からないと自覚できることが重要なのです。そのように自覚できるからやがて分かるようになるのです。
分かっていないのに分かったと思い込んでしまったら、その錯覚からさめない限り永久に分かるようにはなりません。
ですから、むしろ自分は理解が遅いと感じているくらいの方が安全だと思います。
なお、新しいことをやりだすと、以前分かっていたことまでなにやら混乱してしまうといったことがしばしばありますが、これはおそらく頭の中で新しい秩序が作られる際に生じる現象と思われ、心配は要りません。むしろ勉強が進んでいる証拠だと思います。
本がなかなか読み進められないとき
数学の本はそう簡単には読めないと思います。
この場合一番まずいのは、自分に能力がないのでこんなに苦労するんじゃないかといったマイナスの思考に陥ることです。
数学の本は楽に読めないのが当たり前なのです。
これは先に述べたように、新しいことの理解には時間がかかるからという理由はもちろんありますが、それだけではありません。
そもそも文章で読み手に真意を伝えるのは非常に難しいことです。
「犬が尻尾を振って近づいてきた」という文章の意味はすぐ分かりますが、それはすでに読み手の中にそのようなことに対する経験があるからです。
一方数学では次から次に経験とは切り離された抽象概念が繰り出されてきますので、これは非常に難しいわけです。
このような状況下では数学そのものではなく、日本語の解釈でつまってしまうこともしばしばです。そういったときは「副読本」のところで述べたように、同分野の他の本を調べてみましょう。
要するに数学の本は読みにくいものと心得て、間違っても自己嫌悪に陥ったりしないことです。